スマホ インターネット 車 相対性理論 石器 火 等 人間はいろいろなものを発明してきた。
そうなのだ。神とは人間の発明品のひとつだったのだ。
人類が発明した工夫のひとつなのだ。
それにもかかわらず、自ら作り出したものに支配されたいと願い、
いうなれば、ミイラ取りがミイラになってしまっているのだ。
神とは人間の生存本能、存在したい!
この世から消えなくない、
無に帰りたくないという思いの結晶なのだ。
その真意とは何か?
それは宇宙の創造に始まる。
まだ、解明されていないらしいが、宇宙が、ビックバンによる大爆発でゼロであるところから広大な宇宙や存在
というものを作り出し現在も広がっている途中である
それは、無から存在へとベクトル方向が進んでいる。
あたかも、存在への渇望のように。
人間で言えば、生き残りたいという願望だ。
人間は無に帰りたくないのだ
この世のすべてのものが無に帰りたくないのだ
だとすれば、この宇宙や存在の起源というのは
無でいることがいやになった。存在したいという渇望によって創造されたのではないかという
結論にいたったのだ。
つまりこうだ。
人間は死んだら、あの世になどいかない。
無に帰るだけだ。
魂の存在などないし、天国も地獄も存在しない。
あるのは、短い一瞬の人生だけだ。
ただ、それを、短く生きたり、長く生きたり、悲しく生きたり、楽しく生きたりしているだけだなのだ。
一瞬の人生をどう生きるかだ。
だが、それを気づいた時にはもう遅いかもしれない。